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NOVEL

蝉の鳴き声がじわじと脳内に響いて目が覚めた。開け放した窓、カーテンを揺らしつつ隙間から吹く風が頬を撫でる。
まず真っ先に枕元の置時計を確認した。思ったより針が指している時間の早いことに「よし」と呟いて、ベッドから抜け出す。
夏の殺人的な日が昇る前にちゃちゃっと仕事を始めるのは良いことだ。最近特に思う。 次に顔を洗い身支度を整えると、髪を一つに結わえた。

「イリスー」
「はい」

ひょいと隣の部屋から顔を出した娘は既に起きていたようだ。少なからず驚いた様子でちょこちょこ近寄ってきた。何せいつも起こしてもらっているのだ。

「お父さんが一人で起きるなんて珍しいです」
「ま、たまにはな」

蝉のせいなんだ、とは口にせず、のそのそ動いてエプロンを装着。今日もまた娘との朝食の支度を始めた。




また今日も一回だけ失敗していた。
前はもっと失敗作が多かったけれど、最近はずっと上手くなったホットケーキ。これだけは得意料理だと言っていた。
黒こげになって積み上げられたそれを横目に、ふわふわしっとりの大きなホットケーキに新鮮なミルクで作ったバターを乗せ、たっぷりの蜂蜜をかけた。気泡を含み澄んだ琥珀色は、父の自信作だ。(蜂蜜作りも得意なのだ)
一口サイズに切って、ぱくりと食べる。口の中に広がる幸せな味に笑顔になった。

「おいしいです!」
「そりゃよかった」

食べる様子を見て、優しくにこりと笑ってくれた。同年代の友人にもよく言われるが、父は綺麗な顔をしている。これまた綺麗な母と並ぶと本当にお似合いで、二人が居る所をこっそり見てスケッチしていたのは内緒。

「今日は学校無いんだろ?どうすんよ」
「えっと、マオくんの牧場に行こうと思ってて・・・」
「そっか」
「あの、お父さん、私・・・」
「天気も良いしな、しっかり遊んでこいよー」

父は食器を片付けつつ、のらりくらりとこちらの言葉をかわす。休みの日くらい自分の仕事を手伝わなくていい、といつも言ってくれるが、一人で大丈夫かなと思うのも正直なところ。母にも父を頼むと言われているので少々気がかりだ。
休日でも父に休みがないのは少し寂しいけれど、仕方ない話だ。

ボードやスケッチブックやら一式を揃えて部屋を出ると、同じく支度を終えた父が立っていた。

「ちゃんと日陰に居ろよ?」

忘れていたお揃いの麦わら帽子を頭に被せてくれ、水筒を手渡された。

「昼飯はいいんだよな」
「はい。マオくんちに呼ばれます」
「おし、了解」

頭をぽふぽふと撫でる様に叩き、促すようにドアを開けてくれた。忘れ物がないか最終確認して、よしと頷いた。

「お父さん、帰ってきたら私も手伝いますから」
「はは、子どもはそんなん気にするな。仕事は俺の趣味みたいなもんだから」
「しゅみ・・・?」
「あぁ、お前にとっての絵を描くことみたいなもん」

にこにこ嬉しそうに言うものだから、何となく納得した。確かに父は楽しそうに仕事をしているし、そもそも好きで牧場を始めたというのだから。

「だから俺もイリスも自分の好きなことをするの」
「・・・はい!じゃあ、いってきます!お仕事がんばってね」
「おー!行ってこい!」

父の脇をすり抜けた時、甘い甘い蜂蜜の香りがした。
それは母と同じもので、何となく嬉しくなって。今自分も同じ香りがしていたらいいなぁ、と思いながら大きく手を振った。










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